映画「アフターサン」の考察まとめ

映画「アフターサン」は、映像と記憶の繋がり、思春期の視点と親の視点の交錯、時間による変化という普遍的なテーマを繊細に描いています。映画ならではの表現で、記憶の曖昧さを感覚的に表現している点が特徴です。

目次

考察① 映像と記憶の繋がり

映画「アフターサン」は、映像と人間の記憶の関係性を深く掘り下げた作品です。

この映画の特筆すべき点は、記憶が映像によってどのように喚起されるのかを、映画ならではの手法で表現していることです。

物語は、幼い娘が父親にインタビューするミニDVカメラの映像から始まります。

しかし、その映像は途中で停止し、停止した画面の壁には女性の影が映し出されます。

この演出によって、観客は映像を見ているだけでなく、ビデオの中の少女が大人になり、過去の映像を見返していることに気づかされます。

さらに、ビデオ映像の後に、記憶の回想シーンがシームレスに繋がっていく構成も特徴的です。

通常の映画であれば、ビデオを見ている女性のカットから回想シーンへと切り替えるところを、本作では地続きに繋げることで、映像が記憶を直接的に呼び起こす感覚を表現しています。

この手法は、映画というメディアが持つ特性を最大限に活かした表現と言えるでしょう。

小説や漫画では、読者のペースで物語を読み進めるため、他者の視点を強制的に体験させることは難しいです。

また、ドラマはフォーマットが異なり、ゲームは答えを曖昧にすることが難しいという制約があります。

映画だからこそ、映像と記憶の繋がりを、これほど感覚的に表現することが可能になるのです。

考察② 思春期の視点と親の視点の交錯

本作は、思春期の少女の視点と、大人になった娘、つまり親の視点が複雑に交錯している点も注目すべき点です。

映画は、ミニDVの映像を通して過去の記憶を呼び起こし、回想シーンへと移行していきます。

回想シーンでは、主人公の少女の記憶が客観的に描かれ、少女自身も父親も映し出されます。

興味深いのは、少女の視点で捉えられた映像が、大人になった娘の視点で編集されていることです。

例えば、少女の視点では、父親の背中や産毛、脇毛などが印象的に映し出されます。

これは、思春期の少女が特有の視点で世界を見ていることを表しています。

しかし、その映像を編集しているのは、大人になった娘です。

つまり、過去の記憶は、現在の視点を通して再構築されているのです。

大学生の頃に中学高校時代を思い出す時、思い出す記憶は大学生の視点で重要なものになります。

同じように、本作では、少女時代の記憶が、親になった現在の視点で取捨選択され、編集されているのです。

この視点の交錯によって、観客は記憶というものが、時間とともに変化し、再解釈されるものであることを実感します。

考察③ 時間が経つことで見えてくるもの

本作は、時間が経過することで、物事の見え方が変わるというテーマを、様々な演出を通して表現しています。

特に印象的なのは、モニターが置かれた場面です。

最初は、モニターに親子のやり取りが映っているように見えますが、モニターの電源が切れると、反射によって、実はモニターの前に二人がいることが明らかになります。

また、ポラロイド写真が徐々に鮮明になっていくシーンも、時間の経過とともに真実が明らかになることを象徴的に表しています。

これらの演出は、記憶というものが、時間が経つにつれて新たな意味を帯びてくることを示唆しています。

主人公の女性は、父親とのトルコ旅行の映像を見返すことで、幼い頃には気づかなかった父親の苦悩や葛藤を理解していきます。

それは、時間が経ったからこそ見えてくるもの、大人になったからこそ理解できることなのです。

この映画は、単なる過去の回想ではなく、時間が記憶に与える影響、そして記憶を通して過去と向き合うことの意味を深く考察しています。

##まとめ

「アフターサン」は、映像と記憶の関係、思春期の視点と親の視点の交錯、そして時間がもたらす変化という、普遍的なテーマを繊細に描いた作品です。

特に、映画ならではの表現手法を駆使し、記憶という曖昧なものを感覚的に表現している点は特筆に値します。

この映画を観ることで、観客は自身の記憶と向き合い、過去を新たな視点から見つめ直すきっかけを得るでしょう。

単なるノスタルジーに留まらない、記憶の本質に迫る力強い作品です。

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