映画『FALL/フォール』は、地上600メートルのテレビ塔に取り残された2人の女性のサバイバルを描いたスリラー映画です。
単なるパニック映画としてだけでなく、人間の心理や関係性、そして「恐怖」というテーマを深く掘り下げている点が魅力です。
この映画をより深く理解するために、いくつかの考察ポイントを見ていきましょう。
考察① 恐怖との向き合い方
この映画の大きなテーマの一つは、「恐怖」です。
劇中では「生きることを怖がるな」という言葉が繰り返し登場します。
これは、主人公ベッキーの亡き夫が生前に語っていた言葉であり、彼女を支える重要なメッセージとなっています。
しかし、ベッキーは極限状態の中で実際に恐怖に屈してしまいます。
高所という物理的な恐怖、食料や水のない絶望的な状況、そして親友の死という精神的な打撃。
それらは彼女を深く追い詰めます。
主人公が恐怖に打ち勝ち、力強く生き抜くという単純な物語ではありません。
むしろ、人間は極限状態において恐怖に負けてしまうこともあるという現実を、この映画は容赦なく描いているのです。
だからこそ、後半でベッキーが鳥を捕まえたり、虫を食べたりと、なりふり構わず生き延びようとする姿は、より一層観る者の心を揺さぶります。
恐怖に屈した状態から、再び恐怖に立ち向かう決意をした時、人はここまで変われるのかという、人間の底力を見せつけられるようです。
考察② 人間関係の複雑さ
この映画は、単なるサバイバル劇にとどまらず、人間関係の複雑さも描いています。
特に、ベッキーと親友ハンターの関係は、物語に深みを与えています。
ハンターはベッキーの夫と浮気していました。
この事実は、2人の関係に大きな亀裂を生み出しています。
物理的な危機に加え、この気まずい状況が2人を精神的に追い詰めます。
ハンターが落下し、ベッキーが彼女の腹部にスマホを押し込んで落とすシーンは、この複雑な感情が凝縮された場面と言えるでしょう。
もし2人が単なる親友同士であれば、この行為は生き残るための苦渋の決断として描かれたかもしれません。
しかし、浮気の事実があることで、この行為には復讐心や葛藤といった、より複雑な感情が入り混じっているように見えます。
また、ベッキーの父親が娘に「お前の旦那は悲しむに値しない」と言ったことも、物語の解釈を深める要素です。
父親は夫の浮気を知っていたのか、あるいは別の理由でそう言ったのかは明確には描かれていません。
しかし、この言葉は、夫が単なる「良い人」ではなかったことを示唆しており、物語に奥行きを与えています。
さらに、ハンター自身もまた、恐怖に負けて逃げてしまった人間として描かれています。
愛する人を亡くした悲しみから逃れるように、危険なクライミングに挑み、ライブ配信で注目を集めようとしていたのです。
彼女がベッキーを鉄塔に誘ったことも、単なる友情からだけでなく、自身の心の闇を反映していたのかもしれません。
このように、『FALL/フォール』は、極限状態における人間の心理だけでなく、複雑な人間関係をも描き出すことで、観る者の心を掴んで離さないのです。
考察③ 勧善懲悪の要素
この映画には、勧善懲悪的な要素も含まれているように感じます。
浮気をしていた夫とハンターは、最終的に落下死という形で命を落とします。
一方、父親とベッキーは生き残ります。
特に、ベッキーが虫を食べたり、ハンターの腹部にスマホを押し込んだりするシーンは、生き残るためには手段を選ばないという、ある種の割り切りを示しています。
これは、悪いことをした者は罰を受け、生き残るためにはなりふり構わないという、勧善懲悪的な構図と解釈することもできます。
しかし、この映画が単なる勧善懲悪の物語に留まっていないのは、ベッキーが生き残るために行った行為が、倫理的に見て必ずしも正しいとは言えないからです。
彼女は葛藤しながらも、生きるために必要な選択をしていきます。
この葛藤こそが、この映画を単なるスリラー映画とは一線を画す、深みのある作品にしていると言えるでしょう。
まとめ
『FALL/フォール』は、高所に取り残された女性のサバイバルを描いたスリラー映画です。
しかし、単なるパニック映画ではなく、「恐怖」というテーマを深く掘り下げ、人間関係の複雑さや、極限状態における人間の心理を描き出しています。
勧善懲悪的な要素も持ちながら、倫理的な葛藤も描くことで、観る者に様々な問いを投げかける作品です。
この映画を観た後は、恐怖とは何か、人間関係とは何か、そして生きるとはどういうことか、改めて考えさせられるのではないでしょうか。